燃え尽き症候群、顔面大ケガからの復活!北京五輪後ソフトボール上野投手に何が起こったか

ソフトボール, 外, 玉, レザー, 縫い目, ステッチ, レクリエーション

東京オリンピックで日本ソフトボール代表が金メダルを獲得した。

2008年北京オリンピックで金メダルを獲得したエース上野由岐子投手は今回も絶対的エースとして健在だった。

東京オリンピックの予選で上野投手の投球を見た時、北京オリンピックの時の投球フォームと違うことに気づいた。

当時特徴的なフォームがとても印象的で、なぜ投球フォームが変わったのか気になり調べてみることにしたのだが、北京から13年の間に上野投手の身に大変なことが起きていた。

生活に支障が出るほどの左ひざ痛

2014年、投球時の負担からくる左ひざの痛みにより、生活に支障が出るほどに悪化。

引退を考えるなか、紹介されたトレーニングジムでリハビリを開始。

そのリハビリとは、ひたすら板をかかとを使って起こすという地道なものだったという。

「こんなこと意味ある?」

最初は懐疑的だった上野投手だが、持ち前の真面目さでひたすらリハビリを続けた。

私は北京オリンピックの事前番組で見た上野投手の食事シーンを思い出した。

野投手は利き手とは逆の左手で箸を持って食事をしていた。

「体のバランスが良くなる」

野投手は理由をそう話していた。

体に良いと思うことを真面目にコツコツと。

彼女のそんな性格がアラフォーになった今もエースとして活躍できる秘訣に思える。

ちなみに上野投手は握手の際も左手を出すという。

これは左右のバランスというより、大事な右手を得体の知れない相手に差し出したくないということだと思うが。

 

顔面骨折は神様からのプレゼント⁉

2019年4月、日本リーグ

野投手はピッチャー返しを顔面に受け、あごを骨折するという大けがを負った。

手術と約一か月の入院。

口が開けられず、食事は鼻からの流動食だった。

 

日本には上野投手ほどの速球を投げられる投手がいないため、日本の選手に内角を突くと避けきれずけがをしてしまう。

優しい性格の上野投手は内角を突くことが少なかった。

そんな上野投手がピッチャー返しで大けがなんて・・・神様は非情だ。

しかし宇津木麗華監督は不運でも何でもない当然の結果だと分析する。

「真っすぐの球に打者はタイミングが全く合ってなかったのに外角にチェンジアップを投げた。チェンジアップの分だけ捕球動作が遅れてしまった。」と。

宇津木監督は「打者に当てても自分に当たらないボールを投げなさい」と苦言を呈した。

もちろんデッドボールを狙いなさいという意味ではない。

遠慮して投げたボールがまた顔面に当たるようなことがあれば東京五輪はおろか選手生命も危ぶまれる。

相手を気遣っている場合ではない。

野投手は、かけがえのない日本ソフトボール界の至宝なのだ。

 

北京オリンピック「神様 仏様 上野様」とあがめられた上野投手。

そんな上野投手は、事あるごとに神様は何を自分に伝えようとしているのだろう」と考えるという。

野投手はこの大けがを非常にポジティブに捉えていた。

 

「神様が与えてくれた時間」

 

北京オリンピックで金メダルを獲得後、オリンピック種目からソフトボールが除外。

燃え尽き症候群に陥った上野投手は「いつやめてもいい」と取材記者に語るようになっていた。

宇津木監督から「やる気がなくてもいい、続けることに意味がある」と言われ、「惰性でソフトボールを続けていた」と上野投手は振り返る。

 

すべての出来事には意味がある。

「神様は自分に、このままでは駄目だと教えてくれた。」

大けがを機に腹をくくった上野投手は「気持ちが綺麗になった」と語る。

 

 7月にはピッチングを再開。

「1、2か月休んだだけで忘れるほど、薄い歴史じゃないんで。」

私の推測だが、上野投手は「これで自分が引退してしまったら、ピッチャー返しをした選手が余計自分を責めてしまうのではないか。責任を感じてほしくない。」

そんなことも考えていたのではないかと。

敵味方関係なく、ソフトボールの仲間を守る。

野投手はマウンドに帰ってきた。

強い人は皆優しいというが、上野投手の優しさが強さを生んでいる気がする。

野投手の学生時代のエピソードとして、足をけがして歩くこともままならず修学旅行をあきらめようとしていた友人に、「私が面倒みるから一緒に行こう」と友人をおんぶしてディズニーランドを回ったという逸話がある。

 

復興五輪への思い

2020年7月、上野投手は福島にいた。

復興五輪ともいわれる東京オリンピック

コロナがなければ開幕していたその日、上野投手は開催予定地だった福島県営あづま球場津波の被災地を訪れていた。

「神様が何のためにもう一度オリンピックの舞台を用意してくれたのか、わかったような気がします。」

 

選手村入村会見。

淡々と応答する上野投手。

最後の質問で福島の新聞社から福島で開幕戦を迎える意気込みを問われると、それまでの神妙な面持ちから一変、笑顔が輝く上野投手。(13分08秒~)

ここからスイッチが入ったように話し始める。


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ソフトボールが全競技で一番最初にスタートする、それが復興五輪として福島でスタートされること、ずっと考えて考えて、どういう意味があるんだろうと考えて来ました・・・」

 

自分のためのソフトボールから誰かのためのソフトボールへ・・・

そして迎えた東京五輪

日本ソフトボールチームは金メダルを獲得した。

表彰式を終えた上野投手は宇津木監督に、

「このメダル監督にあげます。」と言ったという。

オリンピックの規定により監督にメダルは授与されない。

指揮官として一緒に闘った監督に、自分の金メダルを差し出してでも金メダルをあげたい。

野投手らしい言動である。

勝ちには執着するが、モノとしての金メダルには執着していないのかもしれない。

野投手にとって、自分が金メダルを手にすることより、金メダルを獲ることで誰かが喜び勇気付けられる、その方がはるかに重要なのだと思う。

野投手の目標は、金メダルのその先にあった。

野投手おめでとう。そして感動をありがとう。


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